2012年02月02日

リスタート

2012年の球春が明けました。みなさんおめでとうございます。

例年なら「やっと長いオフが終わった」という心境になるものだけど、2011-12のオフは、なんだかあっという間だった。単純な理由としては、開幕が遅れたためにオフの日数が少なかったということがある。それに加えて、日数が少ない割に「人の出入り」が例年になく激しかったことも、「もうキャンプインなのか」という印象を抱く一因かもしれない。パの優勝チームからローテーション投手3人と1番打者が抜け、セの優勝チームから指揮官と大半のコーチがいなくなった。セの最下位チームの親会社が変わり、そして日本一の投手がアメリカへ旅立った。NPBの歴史でも、こういうオフシーズンは珍しいのではないか。

さて、2012年。要約すればこういうことになる。

落合とダルビッシュのいないプロ野球が始まる。

厳密に「何年から」と定義することは難しいけれど、ゼロ年代後半から2011年までのプロ野球の「軸」は、監督としての落合であり、選手としてのダルビッシュであったと思う。なぜ「軸」だったかというと、ともに、前例のないスタイルを野球界に導入して、なおかつ結果を出し続けたからだ。つまり、歴史に残る仕事をしたからである。後から球史を振り返ったとき、この時期のプロ野球は「落合が采配をふるい、ダルビッシュが投げていた時代」と総括されるだろう。60年代後半~70年代前半が「川上が采配をふるい、ONが打ちまくっていた時代」、90年代が「野村ID野球とイチローの時代」であるように。

2つの「軸」がいなくなった2012年シーズンは、新しい「軸」を探すための、リスタートのシーズンになる。それは、落合みたいな監督や、ダルビッシュみたいな投手を待望するという意味ではない。全然違うスタイルで一向に構わないし、むしろそのほうが望ましい。今まで見たことのないようなスタイルで結果を出し続ける存在、要するに「画期的な野球人」が新たに出現するための第一歩のシーズンということだ。

NPB76年の歴史は、ある「軸」が消えたら次の「軸」が現れ……という歴史の積み重ねだ。だからこの先も、新しい「軸」はきっと生まれてくると思う。それがプロ野球の底力である。「軸」になるチャンスは、どの監督にも、どの選手にも、どのチームにも平等に用意されている。ここからが、また新しいスタートだ。そう考えれば、これほど楽しみなシーズンもないではないか。野球ファンは、ただ前を向くのみである。

(オースギ)

2011年10月29日

僕の好きな叔父さん

報道によれば、東海大の菅野智之が初めてプロ野球を観戦したのは、叔父・原辰徳の引退試合だという。私も、この試合を東京ドームのスタンドで見ていたのでよく覚えている。試合後のセレモニーで、原が「巨人には侵すことのできない聖域があります」という、あまりにも重々しい挨拶をした日である(蛇足ながら、あの挨拶は、長嶋茂雄の「我が巨人軍は永久に不滅です」という明快かつ軽すぎる引退スピーチとあまりにも対照的だ)。

菅野少年が、叔父さんの発した「セイイキ」という言葉の意味をどこまで理解していたかは分からない。ただ、ああいう雰囲気の試合を体感すれば、巨人というチームに対する執着が身体に貼り付いたとしても不思議ではないだろう。おそらく、彼の傍らには原の親族一同がいて、涙を流していたに違いない。試合後にベンチ裏へ行って、さっき挨拶をしたばかりのユニフォーム姿の叔父さんと握手を交わしたかもしれない。「世界」に目覚めはじめた少年に与えるトラウマとしては、十分すぎる体験だと思う。

それから16年の月日が流れ、ドラフトの日を迎える。叔父さんが監督を務める巨人に入団できると信じていたであろう菅野青年は、土壇場でその思いを裏切られた。「ドラフトとはそういう制度なのだから仕方ない」という声があり、「人権蹂躙だ」という声がある。その背景にあるのは、「叔父さんのチームへいけない菅野君は可哀想なのか/そうではないのか」という議論である。どちらの立場に立つにせよ、マスコミはそういうトーンで報道している。

しかし、ツイッターやさまざまなブログで多くの野球ファンが提起しているのは“素朴な疑問”である。それは、「巨人に入ったって、原がずっと監督でいる保証はないだろ。来年でクビになる可能性だって大いにあるんじゃないの」というものだ。深く考えなくたって、当たり前のことである。そして、そんなことは野球の世界に身を置いている菅野青年だって百も承知のはずだ。そうでなかったらおかしい。

日本ハムに行きたくない、と考えるのは個人の自由であり、権利である。問題はそこではない。何だか気持ち悪いのは、「叔父さんのチームに行きたいのに行けない」という、はっきり言ってしまえばバカな理由付けが、菅野智之という前途有望な野球選手にレッテルとして貼られてしまっているということだ。

本当に巨人志望なのであれば、はっきりと自分の言葉で言えばいい。「僕は叔父さんを見て巨人が好きになりました。だから、巨人というチームで野球がしたいんです」と。それは「叔父さんが監督だから巨人へ行きたい」とは、似ているようで全然違う。叔父さん>巨人なのか、巨人>叔父さんなのか。そこには決定的な違いがあるはずだ。

私は、個人的には「プロ入り時に球団を選り好みする選手」は好きではない。江川卓も桑田真澄も元木大介も、内海哲也も長野久義も好きになれないし、澤村拓一にも似たような感情を抱いている。それは巨人に限った話ではなくて、小池秀郎や新垣渚のあまり幸福には見えない野球人生にも、「選り好み」の因果を感じてしまう。

だから、仮に菅野が日ハム入りを拒否したとしたら、彼は私の「好きになれない選手リスト」に追加されることだろう。しかし、こんな一介の野球ファンの好き嫌いなど、どうだっていい話である。菅野は、とりあえず「自分の言葉で」本当の意思を表明すべきだと思う。

(オースギ)


2011年09月20日

千葉ロッテファンだから。

10数年マリーンズを見ているが、間違いなく今が最悪の状態である。このポスターをボランティア制作してから半年、このような状態でシーズンを終えようとしているなんて、正直予想もしていなかった。

「18連敗」はどうなんだ?と思われる方もいるかも知れないが、あのときに何かに取り憑かれているような謎の負け方だった。幸か不幸か、今の弱さは「構造的」で「必然的」である。

ストレートに言うのもはばかられるが、根元、塀内、高濱、渡辺正人で占められる内野陣と下位打線で勝てるわけがない。打撃のみならず、はっきり言って守備も一軍レベルではない。ここ数日の試合も観ているが、内野の見えないエラーでの失点も多い(西岡と今江の高水準の守備と比べてしまうのは許されたい)。

何度も書くのだが、ワタシはCS賛成派である。理由は過去の記事をさかのぼってほしい。簡単に言えば、今この段階でも、東京湾岸の2チーム以外の10チームがポストシーズンへの可能性を持っているという楽しさ。

ただいくつかの弊害があり、そのひとつは、3位から優勝したチームが、その肥大した時価総額に浮かれて、正しい補強を見誤るという事態。昨年はバブルだったのだ 。本当はもっと地道な補強が急務だったのだ。

「今岡シンドローム」という言葉がある。いや、いまここでワタシが考えたのだが(笑)、次期打撃コーチとは無関係。「今」江と西「岡」の台頭によって、優秀な内野陣の輩出があれぐらい簡単でスムーズなことだとタカをくくっていなかったか、編成陣は。その結果が現在の病的な状態なのではないか。

とにかく一度リセットである。フロントやチーム人事のことはよく分からないので憶測でものは語らない。ただ高橋慶彦には残ってほしかった。

                     ●

「千葉ロッテファンだから」

原曲:南海ファンやもん(歌:アンタッチャブル)
東野博昭、野本弦助作詞/野本弦助作曲/土井 淳編曲

だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

去年の話が 酒のあてになる頃
そん時だけに 目の輝きが戻る
あん時ゃよかったね あん時ゃ強かったねと
言いたいばかりに 今日も幕張本郷の飲み屋へ

沈みかける夕陽に向かって 俺ひとり
ニシオカも サブローも テギュンもいない
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

酒とグチと 千葉ロッテマリーンズ
一人で語る 05年のことを
散歩がてらに 浦和をたずねれば
オーこれがマリーンズ なんとも言えぬイー感じ

いつかきっとよくなるさ そのうちみてろとつぶやいて
夢をかたるほどに わびしい気持ちになってくる
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

酒を飲めば底なしで どうせダメだとくだまいて
やっぱり足を運ぶ モノクロのユニフォーム好きだから
だって俺たち だって俺たち 千葉ロッテファンだから

(スージー鈴木)

2011年09月11日

10年前のアトランタ

2001年9月9日。私はシアトルにいた。メジャー1年目のイチローを見た。確か、その試合でホームランを打った。そこまでは「仕事」だった。
2001年9月10日。そこでおとなしく帰国すればよさそうなものだが、私はその日から「夏休み」をとって、米国東部へ向かったのだった。ユナイテッド便、デンバー経由でアトランタへ。なぜアトランタ? 理由は簡単だ。私は1991年以来、アトランタ・ブレーブスのファンだからである。せっかく北米大陸へ来たのだから、ついでにブレーブスの試合を見ておきたい。なぜかフライトが遅れ、デンバー空港で3時間くらい待たされて、アトランタには夜の深い時間に着いた。とはいえ、特に不安はなかった。既にアトランタには3回くらい訪れていたからだ(もちろんブレーブス目当て)。勝手知ったるホテルにチェックインして、あっという間に眠った。

2001年9月11日。アメリカ滞在時の朝は早い。単に時差ボケだから。確か7時半頃に起き、シャワーを浴びて、特にすることもないので、いつものようにダウンタウンのCNNセンターまで散歩して、そこのフードコートで朝飯を食うつもりだった。今振り返ってみれば、米国南部のキツい日差しを浴びながらのんびり散歩している途中に「あれ」は起こっていたのだ。CNNセンターに着き、中へ入ろうとすると入口に鍵がかかっている。デカい図体の警備員がやってきて「NO!」と叫ぶ。おかしいな、いつもこの時間なら空いてるはずなのに。今日は休業なのか。釈然としないが、仕方ないのでホテルに戻ることにする。近くのモニターを3~4人くらいが見上げている光景が目の端に入ったが気に留めず、再びのんびり散歩してホテルに戻った。部屋に入ると、電話の赤いランプが点滅している。日本からかけてきた、複数のメッセージだった。それを聞き、慌ててテレビを点けた。どのチャンネルも──ESPNでさえも、ツインタワーの映像だった。茫然自失。

恥ずかしい話だけれど、当時の私は日本と通話できる携帯も持っておらず、PCも持参していなかった。当然ながら、スマホもなければツイッターもなかった。まずしたことは、テレホンカードを買うことだ。部屋の電話でも通話はできるけれど、とんでもない料金を取られる。情報収集、帰国便の確保、そして何よりも、心細さの解消。私はホテルのロビー片隅にある公衆電話に、カード片手に「籠城」した。生涯で、あれほど電話をかけまくった時期はないかもしれない。今でも「ラプソディ・イン・ブルー」の旋律が流れてくると嫌な気分になる。フライトの状況を尋ねるためにかけ続けていた、ユナイテッドの着メロだったからだ。何度かけても延々とそのメロディが流れるだけで、一向にオペレーターが出てくれない。そのときの絶望的な気持ちを思い出すからだ。

3・11の後、日本にいる外国人が続々と出国するという報が流れた。私には、その気持ちがよく分かる。それは、9・11の体験があるからだ。そんなもの、一刻も早く母国に帰りたくなるに決まっている。まして9・11直後は、米国の空港はすべて「封鎖」されたのだ。空港封鎖。その一事が、異国人にどれほどの恐怖感を与えるものか考えてもらいたい。

野球を見に来たはずだったのに、その日から野球は行われなくなった。それでも、とりあえずブレーブスの本拠地ターナー・フィールドへ行ってみる。どうやら、スタジアム観戦ツアーはやっているらしいので申し込んだ。客は、私1人だ。案内役は黒人の気のいいオバチャンで、こちらの拙い英語レベルに合わせてくれて、「こんなときに客が来るなんて思わなかったわよ」的なことを言っている。たっぷりと、球場の隅々まで見た。無人のロッカールームを徘徊した。無人の放送席も記者席も見た。ベンチ裏には、ゴルフのパターコースがあった。「マダックスとグラビンが社長に掛け合って作らせたのよ。ストレス解消のためにね」とオバチャンが説明してくれた。笑った。自分のストレスも和らいだような気がした。

数日後、空港封鎖は解除され、どうにか確保した帰国便チケットで成田に辿り着いた。すぐに新聞を買った。日本では「米国同時多発テロ」と称されていることを初めて知った。そして、スワローズが順調にVへ向けて前進していることと、崇拝していた映画監督の死去を知ったのだった。

(オースギ)

2011年05月17日

ドーム球場は、ゲンパツに似ている

・そもそも誰がその必要性を求めたかよくわからないのに、いつの間にか日本各地に林立している。

・導入の旗振り役となったのは、讀賣(巨人)である。

・アメリカに影響されて導入された施設である。しかし、そのアメリカでは新規建設が行われなくなって久しい。

・身体への悪影響(固い人工芝)が当初から懸念されてきた。

・経済効率(雨天中止がない)優先である。

・地元に大きな経済効果をもたらす(イベントやコンサートを誘致すれば野球以外でも稼げる!)と喧伝された。

・しかし実際のところ、出来てしまうと維持費等の高コストに悩まされる。

・かといって、「やっぱり取り壊して野外球場に戻しましょう」と簡単には言い出せない。そのためには更なるコストがかかる。

・天井に打球が当たるなど、「設計時には想定していなかったこと」がたびたび起こる。

・ホームランを量産する空調(?)など、疑惑を呼ぶ事象があるにもかかわらず、内部情報は開示されない。

・おそらく今後、国内で新規建設されることはないと思われる。というか、必要ない。

(オースギ)

2011年03月23日

【再録】「野球は、正しい方向へ向かって進んでいる」

 以下は、2008年3月に、謎の野球ライター(笑)大杉カツオが、なぜか天下の『週刊ベースボール』に寄稿したコラムの再録です。本サイト「野球浴」の盟友であり、週ベ常連執筆者である野球文化評論家・スージー鈴木師匠の導きによって、伝統ある誌面の末席を汚す始末となったわけであります。
 では、なぜ今、この拙い一文を再録するのか。言うまでもなく、現在、讀賣を中心とするセ・リーグがとっている醜悪な態度に深く、深く絶望しているからである。
 お読みいただければわかるように、ワタシのプロ野球観は、大方(世間)のイメージとは違って「昔と比べたら本当によくなった」というものだ。文中には言及していないが、その分岐点は、2004年の球界再編騒動にあったと思う。あの荒波を潜り抜けたことで、パ・リーグが見違えるように再生した。それによって、古き悪しき(とあえて言う)「昭和のプロ野球」が後景に退き、よりよき「平成のプロ野球」が誕生しつつある。少なくとも、この時点ではそう確信していたのだった。
 どこの球団のファンであれ、現在進行形でまともに野球を見ている人なら、いまのNPBが「讀賣あってのプロ野球」などと思ってはいないはずだ。それが進歩というものである。しかし、東日本が大きく揺れ、その後に地中から出てきたものは何だったか。それは、忘れかけていた「昭和のプロ野球」の古き悪しき残骸にほかならなかった。讀賣がエゴを主張し、それにぶら下がるセ5球団が追随する。彼らはパ・リーグを蔑視し、野球ファンを蔑視し、世間を蔑視する。長嶋茂雄も王貞治ももういないのに。
 現状を見るにつけ、以下の一文でワタシが記したのは、束の間の、浅はかな、希望的見解に過ぎなかったということになる。しかし、本当にそれでいいのか。よくはないはずだ。「昭和の残骸」が何を主張しようとも、プロ野球は、そしてプロ野球ファンは、健全に進歩し、成熟しているはずだと思う。だとしたら、いま起こりつつある<暴挙>を許してはならない。仮にその<暴挙>が強行されるなら、何らかの態度表明をしなくてはならないだろう。
 以上、大瀧詠一師匠が自作リマスター版に寄せるライナーノーツばりの<長すぎる前置き>となってしまいましたが、お時間ある方は、一読くださいませ。(オースギ)


 プロ野球が好きだと自覚したのは、中日とロッテが日本シリーズを戦った年だから、1974年。今季で、ファン歴34年目ということになる。
 そんな世代だから、当然、「昭和のプロ野球」にはノスタルジーがある。デーゲームの日本シリーズ。神宮の外野芝生席。後楽園の「お帰りは地下鉄で」の看板。ベルトレスのユニフォーム。荒川博のべらんめぇ解説。日曜朝の『ミユキ野球教室』。選手の自宅住所がバッチリ書いてある名鑑。バックが静止画の『プロ野球ニュース』。ドラフト会議におけるパンチョ伊東の美声(例→クラウンライター、エガワスグル)。オフの余興番組でストライプの背広を着て演歌を熱唱するパンチパーマの選手たち……。

 で、ここからが本論。ノスタルジーとは、あくまでノスタルジーである。それ以上でも、それ以下でもない。あの頃は、今よりよかったのかどうか。それは、まったく別の話なのである。

 では、今の野球の状況は、どうなっているのか。アトランダムに挙げてみたい。
「巨人戦だけでなく、ほぼすべての公式戦を生中継で観られる」
「パ・リーグの球場が、普段の公式戦で満員になる」
「本拠地が首都圏と関西だけでなく、全国に分散する」
「セのチームとパのチームが、公式戦で対戦する」
「メジャーリーグで日本人選手が活躍する」
「プロ選手による野球版ワールドカップが開催されて、日本が優勝する」

 タイムスリップして、昭和の野球少年だった30年前の自分にこれらの事実を伝えたとしたら「ウソだろ!」と一蹴されるに違いない。どれもこれも、信じられない話ばかりだからだ。と同時に、当時の野球少年が「もしこんなふうになったらいいな」と心のどこかで思っていたことばかりでもある。
 つまり、今の野球界は、昭和の野球少年の「夢」が実現した世界なのである。「昔はよかった」というのは大間違いなのだ。

 もちろん、今の野球界にも様々な問題はある。あるけれども、少なくとも、我々世代が懐かしむ「昭和のプロ野球」よりは、確実によくなっている。何をもって「よくなっている」のかと問われたら、こう答えよう。「本当の野球好きにとって、よくなっている」のだと。

 本当の野球好きではない人々、すなわち、日常の中で野球の優先順位がそれほど高くない人々にとって、最近のプロ野球は沈滞しているように映るのかもしれない。スター選手は続々とアメリカへ行ってしまうし、巨人戦の地上波テレビ中継はどんどん減っているからだ。
 しかし、本当の野球好きにとって、そんなことは瑣末な問題にすぎない。日本人選手がメジャーで活躍するのは素直に誇らしいことだし、彼らのプレイを観戦する手段はいくらでもある。渡米した選手の穴埋めで若手が積極的に起用され、新陳代謝が促進されるという側面もある。そして、本当の野球好きは、地上波の野球中継なんてとっくに見限っている。

 だから、私が提言したいのは次のようなことである。野球を報じるメディア、および、現場の人々(選手含む)は「プロ野球が盛り下がっているから、なんとかしなくてはいけない」というような、ネガティブな物言いを一切やめてもらいたいのだ。
 野球は、正しい方向へ向かって進んでいる。そのことを「世間」に啓蒙するのが、野球人のやるべき行いだと思うのです。 (文中敬称略)

2011年03月13日

3・25にNPBがやらなくてはいけないこと

今日(3月13日)の日刊スポーツによれば、NPB事務局は、25日の開幕戦開催について「そこまで検討する段階ではない」と答えたという。いまだ情報収集に手一杯ということか。

おそらくKスタの早期使用は困難だろう。開幕カードの「楽天×ロッテ」はビジターの千葉で代替開催、という対処は可能だけれど、QVCマリンフィールドも周辺が液状化しており、かなり厳しい状況のようだ。

それに加えて、電力供給問題という深刻な状況がある。国民的に大掛かりな「節電」に取り組まなくてはならないことは明らかで、そんな時に、ドーム球場および屋外球場でのナイトゲーム開催が許されるのか。

社会あってのプロ野球だから、自分たちの都合だけで物事を決められるはずもない。通常通りに公式戦をスタートしたい、という思いは野球界および野球ファンの総意だろうけれど、それが適わないという可能性も覚悟しておかなくてはならないだろう。

しかし見方を変えれば、NPBは何のために存在しているのかといえば、それは社会のために存在しているのであって、そういう見地からして、NPBがやるべきことはただひとつだと私は思う。それは、

(本来の開幕日である)3月25日からプロ野球を開催すること

である。たとえどんな形であってもだ。

通常の公式戦が開催できないのであれば、12球団による変則的な短期リーグ戦を「使用可能な屋外球場(神宮、横浜、甲子園、ほっともっと神戸、ズムスタなど)」で「デーゲーム」で行えばよい。もちろん、それは【復興支援試合】となるだろう。公式戦と同じ入場料を取ってよい。言うまでもなく、ベストメンバーによる真剣勝負だ。

それがどのくらいの期間に及ぶのかわからない。公式戦のように、毎日試合を行えるわけでもないだろう。それでも、とにかくどんな形でもいいから「試合=興行」を行わなくてはならない。なぜなら、プロ野球の社会的使命とは「プロ野球の試合を行うこと」にほかならないからだ。

そして、先の話にはなるけれど、7月に予定されているオールスター3試合は、会場を変更してもらいたい。Kスタ、岩手県営球場(盛岡)、福島県営あづま球場orいわきグリーンスタジアム、である。球場の復旧に時間がかかる場合は、時期を後ろへずらせばいい。

日本という国が幾多の困難を乗り越えて今日があるように、日本のプロ野球も様々な困難を乗り越えてきた。阪神大震災の2ヶ月半後に、神戸で開幕戦を開催した(私も現場にいました)。そして、第二次大戦中は他の競技が次々と活動を停止するなか昭和19年までリーグ戦を継続し、さらには、日本中が焦土と化した敗戦直後に「東西対抗」を開催した、日本プロ野球の歴史を今こそ思い起こさなくてはならない。

昭和二十年八月下旬のこと、空襲のため社屋を焼かれて東京築地の西本願寺に仮社屋を設けていた読売新聞社に、社長正力松太郎を訪ねた鈴木惣太郎は、開口一番、「プロ野球を再興したらどうでしょう」と切り出した。(大和球士『真説 日本野球史』昭和篇その五)

2011年02月11日

Baseball Song of the Decade

スージー鈴木です。さて、今年の「週刊ベースボール」誌新年号で、「2001~2010年の10年間に発表された野球音楽の中での最高傑作」に選んだのがこの馬場俊英《ボーイズ・オン・ザ・ラン》です。ぜひ聴いてみてください。

                               ●

ボーイズ・オン・ザ・ラン 馬場俊英

作詞・曲:馬場俊英

いったい何があんなに夢中にさせるんだろう スクールデイズ
真夏のグラウンドは40度を超えすべて奪い取る
なんのドラマも起きない平凡なゲームは最終回のウラ
ヒロシはネクストバッターズ・サークルで ひとり空に
まるでファウルボールのような夢を打ち上げていた
そして目が醒めるように 糸が切れるように
アブラゼミが鳴き止むように 静かにゲームセット

電話じゃダメだって呼び出されたのは 一方 亮一
両手には滲むような はにかむような 染み込むようなテンダネス
バイパスを染め抜いたのは夕焼けとヘッドライト
そしてストリート・ライト
思わず横顔を抱き寄せて引き寄せて キスをして
そっと見つめたけど彼女 「何もわかってない」って泣き出したっけ
でも気にすることないぜ それも愛情表現
そうさ 女の言うことの半分以上はいつだって
いつだってMeaningless わかりっこないぜ

Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys

「これが最後のチャンス」と電話口でささやいて
祐次は今年32歳 山梨に妻を残し 東京
ワンルームのマンションから夜の甲州街道を見下ろして
煙草に火を点けては消し 消してはまた火を点け直し
「明日のことは誰にだって分かりっこない」ってせめてつぶやいて
見上げるのは東京の夜空 そして今は遠い遠い遠い 山梨の街

Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys

チャンスらしいチャンスもなく 情熱と友情の袋小路
そして青春の磋跌 物語は今静かにクライマックス
ジローはギターケースからレスポールを取り出して
歌うのは小さな小さな小さな裏切りのメロディー
そうさ「みんなで頑張ろう」って 昨夜も乾杯したけれど
でも迷うことはないぜ もう答えは胸の中
信じるのさ 信じるのさ10本の指と6本のストリングス

Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys

ところで 今 オレは通りがかりのバッティング・センターに入り
時速140キロのゲージで順番を待っている
あのクソ暑い真夏の空 焼けついたグラウンド
陽炎のようなハッピネス 遠く耳鳴りのような歓声が 今も‥‥
一体誰があの日オレに一発逆転を想像しただろう?
でもオレは次の球をいつだって本気で狙ってる
いつかダイアモンドをグルグル回りホームイン
そして大観衆にピース!ピース!ピース!ピース!ピース!
そしてさらにポーズ!

Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys
Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys

Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys
Hey, Boys do it, Do it, Do it, Do it, Boys

I Like You!

                               ●

おおげさではなく生きる力が湧いてくる曲。私自身も通勤時、オフィスにいちばん近い地下鉄の出口を出た瞬間にこの曲を聴くことが多いのです。

そして大観衆にピース!

(スージー鈴木)

2011年01月25日

大杉勝男的なるもの

大杉カツオ(twitterでは @katsuo_ohsugi)などという、
「中森明夫」に匹敵するような不遜きわまるPNを名乗っている理由は、
ただ単純に「大杉勝男という野球選手をリスペクトしているから」。
というわけで、たまには初心に戻って、
「大杉勝男的なるもの」についてツラツラ書いてみようかと思う次第。

「大杉勝男的なるもの」などと書くと大層な響きですが、
実のところ、大して複雑な条件があるわけでもありません。
大別すれば、以下の3点に要約できます。

①右打ちのスラッガー。
②叩き上げタイプ。
③「コワモテ」と「愛嬌」の共存。

①②はともかく、③について少し説明しておきましょう。
一般に、大杉勝男のイメージは「コワモテ」要素が強いと思いますが、
重要なポイントは、それと表裏一体の「愛嬌」です。
具体的にいえば、78年日本シリーズ第7戦、例の“疑惑のポール際本塁打”の次の打席で、
「今度は文句ないだろ」とばかりに左中間スタンドに放り込んだ際、
一塁ベースを回ったところで両腕を回しながらピョン!とジャンプしたあの姿。
(同様に、本塁打を打ってピョン!と飛び上がる姿を、ワタシは新潟市営鳥屋野球場で目撃しています)
あるいは、全盛期の江川と対戦した際のワンシーン。
外角ぎりぎりのカーブがボールと判定され、江川が珍しく血相を変えて主審に抗議。
で、意地になった江川は、まったく同じコースに同じカーブを連投。
それを「待ってました」とばかりにライト線へ打ち返し、一塁ベース上で破顔一笑したあの姿……。

たとえば、落合博満という人も①②にバリバリ該当するわけですが、
大杉との差異は何かといえば、③ということですね。
落合は本塁打を打ってピョン!と飛んだりしないし、一塁ベース上で破顔一笑したりしません。
どっちがエラいとか凄いとかいうことではなく、まあ人それぞれの好みなのですが、
ワタシの場合は、野球的興奮が高まったときにピョン!と飛んだり破顔一笑したりする選手が好きだという話です。
付言しておけば、のべつまくなしに感情表現してるような「お調子者」とは違いますよ。
「コワモテ」と「愛嬌」の共存、ここがポイントです。

というわけで、上記の「大杉基準」を現役選手に当てはめてみると、どうなるか。

いま最も「大杉勝男的」なのは山崎武司(E)ということになるでしょう。
楽天移籍後の山崎は、大杉的な「愛嬌」が加わったことで上記の③に該当するようになり、
野球選手としての余裕と円熟を獲得したように見えます。
若松の弟子である岩村が3番に入る今季の楽天打線は、
「3番・若松、4番・大杉」の再現かもしれません。そんなこと考えてるのはワタシくらいでしょうが。

以下、「大杉の域まで今一歩」の選手たちを挙げておきましょう。ハードルは意外と高いですよ。

村田修一(YB)は、③がダメ。致命的に「愛嬌」が足りない!
栗原健太(C)も同様。ただ、村田より「大杉的資質」はありそう。
中村剛也(L)は、逆に「コワモテ」方面の味がまだ足りない。
和田一浩(D)は、「愛嬌」というより「コミカル」の域なので別個性。
小久保裕紀(H)は、入団時からエリートなので②にそぐわない。「愛嬌」も微妙。
小谷野栄一(F)は、①と言い切れないのが惜しい。長打力=迫力があれば。
畠山和洋(S)は、すべてにまだ発展途上。
金泰均(M)は、あと5年くらい日本でプレイすれば……

そして、「近い将来の大杉勝男」一番手と思っているのは中田翔(F)。
彼は清原との比較で語られることが多いですが、ワタシはむしろ、大杉的選手と考えたい。
清原のような「エリートゆえの呪縛」のもとで窮屈な野球をやるのではなく、
大杉的な伸びやかな環境で、「コワモテ」と「愛嬌」の出し入れを自在に繰り出せるような、
味のあるスラッガーに成長してほしいと思っているのです。
東映→日ハムの系譜でいえば、直の後輩でもあるし。

最後に、スラッガー好きはわかるとしても「なんで右打ち限定?」という疑問について。
ワタシも、よく分析できていません。なぜなんだろう。
王貞治は別格として、掛布雅之も松井秀喜も偉大なスラッガーだと思うし、
現役ならT-岡田(Bs)や筒香嘉智(YB)にも期待するところ大なのですが。
一塁ベースに近いほうに立つ左打者には、
よくいえばモダン、悪くいえば合理主義的な匂いがあるからかもしれません。
「右打ちのスラッガー」には、どこか牧歌的な、ノンキな味わいがあります。
ベースに遠いうえに、足は遅い。それがどうした、打ちゃいいんだろ、というような。

(大杉カツオ)

2010年11月19日

表彰選手は記名投票で

MVP、新人王、ベストナイン、ゴールデングラブ。
これら表彰選手が発表される際、ひそかに楽しみにしているのは、
投票結果よりもむしろその詳細である。
ちなみに今年のベストナイン投票結果詳細はこちらで、
ゴールデングラブ賞投票結果詳細はこちらです。

楽しみにしている理由は、毎回、
必ず「ユニーク」な投票をされる記者さんが散見されるからである。
今年もいたよ。ベストナインから見ていこう。
今年のユニーク大賞は、パの一塁、小谷野(F)に1票。
そりゃ、稀に守ったことはあるだろうけどさ。球界一の名サードに失礼。
他にもいくつか挙げてみよう。
パの捕手、上本(L)に1票。パの外野、荻野(M)に1票。
セの一塁、ホワイトセル(S)に1票。セの外野、赤松(C)に1票。

規定打席以下でベストナインになったことって、過去にあるのかな?

ゴールデングラブには、もっとわかりやすい「ユニーク」がある。
セの外野、ラミレス(G)に1票、スレッジ(F)に1票。
「ゴールデン」という形容詞の概念が違うのかもしれないね。
まさか金本にも票が……と怖くなったが、さすがにそれはなかった。

毎年、こういう「ユニーク」を見るたびに思うのは、
「けしからん!」という憤りではなくて、
単純に「投票理由を聞いてみたい」ということである。
我々は自由な言論が許される社会に生きている。
誰がどんな意思表明をし、どんな見識を世に問おうと自由だ。
したがって「ラミレスは名外野手だ!」と主張する野球記者がいたって構わない。
むしろ、我々の常識に揺さぶりをかけるそのような見識こそ、
詳しく知りたいと思うのが人情ではないだろうか。

この種の表彰選手は記名投票にして「誰が誰に投票したか」を公表したらいいと思う。
発表後にネットで公開してもいいし、
翌日の紙面で「我が社の記者はこう投票した」と各紙が掲載すればいい。
いったい、そこにどんな不都合があるのだろう。
毎日球場へ通い、選手やスタッフと直接会話し、特等席で試合を見ている野球記者たちが、
日々の仕事で培った野球観を世に問う絶好の機会ではないだろうか。
読者にとっても、トータルの投票結果とは別に、
「自分の野球観と近い記者」を発見する楽しみができる。
これからのメディアは、そういう個別性が大切だと思うのですがね。

仮に「誰に投票したかがバレたら取材活動に支障が出る」のであれば、
そんな取材者との関係は一刻も早く解消したほうがいい。
考えてもみよ。競馬記者は毎週、出走馬に印をつけているのである。
彼らにも「担当厩舎」があるし、関係者との付き合いもあるだろう。
それはそれとして、競馬記者は自分の意思で印をつけることによって、
自らの競馬観を毎週、世に問うているわけだ。それで支障があるだろうか。

ちなみにワタシは昨日、ツイッター上の前予想で
「MVPは攝津と浅尾」とつぶやき、見事、撃沈しました。
セットアッパーW受賞という初の現象こそ、現在のプロ野球のリアル。
そんな野球観に基づいた「中穴狙い」だったのですが……。

(オースギ)