2010年03月04日

「T-岡田」問題について考える

オリックスの「岡田貴弘」は期待している選手の一人だ。
不発の大砲・大森剛(元巨人、現スカウト)にソックリ、という点がネックなのだが、
幸いなことに、彼が所属しているのは窮屈な巨人ではなく、オリックスだ。
待望久しい和製スラッガー候補として、伸び伸び育ってほしいと思っている。

だからこそ、開幕を前にして、あえてここで質しておきたい。
「T-岡田」でいいのか、本当に?

オリックスは「イチロー」を生み出した球団だから、
登録名については鷹揚な空気があるのだろうと思う。
というより、イチローという稀有な成功例があるものだから、
期待値の高い選手ほど登録名を作りたがる風潮すらあるのかもしれない。
しかし、「T-岡田」という結論を出す前に、
もう少し立ち止まって考えてみたほうがよくはなかったか。

スポーツ紙で「T-岡田」という字面を目にしたとき、とっさに連想したのは
「C-3PO」とか「R2-D2」であって、これはもうギャグ以外の何者でもないだろう。
「野球を笑う」ことを誰よりも好きだと自負しているワタシではあるが、
それは結果として笑えるからこそ意味があるのであって、
のっけから「笑ってくれ」とばかりにネタを提出されても困るのである(実は大して笑えないし)。
それでも登録名が必要というなら、まあ「イチロー」のパターンしかないだろう。
となれば「タカヒロ」となるが、それじゃあEXILEのボーカルだ。
あのツラとのギャップは甚だしい限りで、やはり感心しない。

聞くところによれば、「T-岡田」が生れた発端は、
同姓の岡田監督が「紛らわしいから登録名考えたほうがエエんちゃうの」
という意味の発言をしたことであるという。
ここに、そもそも釈然としないものを感じるのだ。
プロ野球において、監督と選手、どっちがエラいのか。
現場では監督のほうがエラいんだろうが、我々ファンにとっては、
数年でコロコロ代わる監督よりも、この先ずっと球界を背負っていく選手のほうが
ずっと大切だし、何倍もエラいのだ。
だからこそ言いたい。紛らわしいんだったら、お前が名前を変えろ。
「どんでん」でも「藤山寛美」でも何でもいいから、
適当な登録名で数年監督を務めて、その間、自分がピエロになって話題を集めればいい。
大切な選手を、テメェの都合でオモチャにするな。

結論としては、岡田貴弘は「岡田」でよろしい。
考えてもみよ。今季、彼がブレイクして全国区の選手になったら、
「T-岡田」という登録名が浸透してしまって、後へは退けなくなってしまうのだ。
この先、数々のタイトルを獲得し、スラッガーとしての風格をかもし出し、
やがてメジャーから声がかかるかもしれない。しかし、彼は「T-岡田」なのだ。
もし、松井秀喜が「H-松井」としてプレイしていたら、
これほどリスペクトされる選手になっただろうか。
元へ戻すなら今のうちだ。ブレイクしてからでは、遅いのである。

以下、補足。

①じゃあ「G.G.佐藤」はどうなんだ?という声があるだろう。「G.G.佐藤」も好きではないが、「T-岡田」よりはまだマシだと思う。何がイヤかというと、「-」の部分である。この「-」に、人を人としてみていないゾンザイな感じが漂ってはいないだろうか。

②ロッテの「翔太」(大嶺翔太)についても、一言言いたい。入団前にああいう経緯があって、球団はずいぶん厳しいコメントをしていたはずなのに、登録名は「翔太」である。言ってることとやってることが違うんじゃないか。ここは、松沼ブラザーズの伝統にのっとって「大嶺兄」「大嶺弟」でいいんじゃないのか。

(オースギ)

2010年02月07日

新球団「松山ポンジュース」構想。

ワタシのサイトで運営している掲示板で議論になっている「四国でプロ野球チームの経営が成立するか?」問題について。

ワタシの意見を言えば、松山を本拠地としたプロ野球チームは成立する。それも、2リーグ制を前提とした球団拡張(たとえば各リーグにプラス2チーム)として成立する、という強気の意見です。ただしこれには条件が付きます。

そのチームは、現在の12球団から二段ぐらい落ちる、いわば社会人野球レベルのチームになるということ。以下、ちょっと長くなりますが、ワタシの考えを説明しますね。

そもそもマスコミで球団拡張の問題を語るのが、訳の分からない経済評論家か元プロ野球選手しかいないのがおかしい。一野球ファンの視点から、この問題について青臭い意見を言っておくことが必要な気がします。

前提認識として、プロ野球チームがながらく12球団で固定され、かつ社会人チームがどんどん減ってきている中、社会人野球レベルのプレーヤーがどんどん余り、野球を止めることを余儀なくされている情況があります。

経済評論家は、プロ球団の経営には●●万人の動員が必要と言いますが、それはトップオブトップである現在のプロ野球プレーヤーの人件費を前提としています。要するに1億円プレーヤーが数人いるという極端な環境が前提。

ここで想像してみます。新チーム「松山ポンジュース」(仮称)がパ・リーグに出来たとして、そこには1億円プレーヤーはひとりもいない、むしろ年俸1000万円以下レベルのプレーヤーがほとんどだとします。

でもね、観客は年間100万人とは言わずとも、50万人は入る可能性が高いような気がします。ひとつには野球熱が高い土壌、くわえて「おらが町のチーム」が出来た喜び、さらにはビジターとしてダルビッシュのような人気選手がどんどん来るのですから。結果、収支も健闘するのではないかと。

ここで元プロ野球選手はこう言います。球団拡張は日本の野球のレベルを下げる。メジャーリーグだって、30球団になってレベルが下がった。レベルが下がると観客は遠のく、と。

ワタシはここがいちばん疑わしいと思うのです。

極端な例を出せば、イチローは日本の晩年、ガラガラの東京ドーム(日ハム戦)で試合をしていました。松坂もしかり。ほんとうに日本の野球ファンが目が肥えていて、プレーのレベルにシビアなのであれば、こんなことは考えられないでしょう?

逆に、ついこのあいだまで球団がなかった札幌や仙台が、球団創設から10年も経たない間にあれほど盛り上がっている。つまりは、抽象的でつかみどころのない「プレーのレベル」なんかより、プロ野球のゲームが目の前で行われることのほうが、多くの人々にとってぜんぜん重要なことがらなのですよ。

たしかに「松山ポンジュース」は、ボロボロにやられるでしょう。でも切磋琢磨の中で必ず伸びてきます。そう断言できるほど、この国にはプレーヤー輩出への潤沢な土壌があるし、とくに今は選手が余っている。

こういう構想、実は2004年の球界再編時に、多くの心ある野球ファンから呈示されたような記憶があります。しかし経済評論家や元プロ野球選手に一笑に付され、そして何よりも当時はまだ巨人戦中継の利権があったから、球団拡張なんて現実的じゃなかった。

そして今、笑うしかない不景気。巨人戦中継の消滅。そして札幌や仙台の盛り上がり。それらの環境はすべて、青臭い(とは実は思っていませんが)球団拡張論を今一度世に問う勇気につながります。

2007年の夏の甲子園を騒がせた今治西のスラッガー、熊代聖人は、卒業後在籍していた日産自動車のチームが消滅し、王子製紙への移籍が決まったらしい。

「松山対日本ハム、2対13と大きく差が付きました。9回裏もマウンドにはダルビッシュが上がります。おっとここで松山、代打に地元出身の新人、熊代を出してきました。お聞きください、松山坊ちゃんスタジアムの大歓声! 観客はスタンディング・オベーションで熊代を迎えます!」

ずっと遠くのイチローより、ちょっと遠くのダルビッシュより、目の前の熊代聖人を。そう強く言い切れるのが、ほんとうの野球ファンだと思うのです。

(ス)

2010年01月10日

オリックスの復刻ユニフォームに絶対反対。

オリックス 阪急&近鉄のユニW復刻(12月30日スポニチアネックス)

岡田新監督を迎えて低迷打開を図るオリックスが来季、前身の阪急ブレーブスと04年オフに合併した近鉄バファローズのユニホームをダブルで復刻させるプランを進行中であることが29日、分かった。

復刻ユニホームは巨人、阪神など7球団が試合で着用しているが、一挙に2種類となると初めて。阪急、近鉄両球団の系譜を引き継ぐオリックスだからこそ可能となる。

復刻ユニホームの年代は未定だが、神戸で「阪急」、大阪で「近鉄」と使い分ける計画で、開催時期について球団関係者は「セ・リーグとの交流戦で検討しています」と語った。また球団は同時に阪急、近鉄の復刻グッズ販売も検討中。実現すれば、来季は「岡田オリックス」だけではなく、阪急、そして近鉄が関西球界を盛り上げてくれそうだ。

なんだコレ!?

昔、自分のサイトにこういうことを書いた「20080601/オリックスは復刻ユニフォームを着るべきではない」。こういう大事なことはクドいと思われてもなんども書いてやる。絶対反対。

オリックスのこのようなたくらみに対して、反対の意見が目立って出てこない事実、そして周りの元阪急ファン、元近鉄ファンもそんなに違和感を感じていなさそうなことも重々承知した上で、でも絶対反対だ。

これは2004年の、あの悲惨な球界再編問題に対する、憎しみ、怒りの深さの問題だと思う。

ワタシは、あの球団合併を、阪急ブレーブスの歴史、近鉄バファローズの歴史を「殺した」行為だと思っている。

埼玉西武は西鉄の系譜を確実に継いでいる。福岡ソフトバンクは南海だ。球団譲渡の経緯がどうであれ、少なくとも昭和から平成まで、野村克也と松中信彦、中西太と中村剛也が一本の線でつながれている。

でも福本豊や鈴木啓示と小松聖は、途切れている。いや、ミヤウチとナベツネとツツミによって、ちょん切られたのである。

ブレーブスのファンは、バファローズじゃなくってブレーブスを選択していた。その逆もまた然り。そんな2球団が「合併」「融合」「結合」などして許されるわけはないのである。

よくある「12球団の歴史系譜図」みたいなのでは、(当時の)オリックスと近鉄の「線」がいとも簡単に結ばれている。でもその結び目はまやかしだ。単なる新球団の誕生だ。そのぐらいブレーブスとバファローズの歴史は異質だと思う。西宮と藤井寺の距離はけたはずれに遠いんだ。

元阪急ファン、元近鉄ファンがあんがい冷静なのは、もう怒りを通り越してシニカルになっているのか、むしろこうなってしまったらユニフォーム姿を見られるだけでも御の字という諦観なのか。

そして、ワタシがこの件について熱くなってしまうのは、「福岡ダイエー"M"ホークス」をいちど覚悟しながらなんとか難を逃れた人間の青臭さなのか。

>神戸で「阪急」、大阪で「近鉄」と使い分ける計画
>阪急、そして近鉄が関西球界を盛り上げてくれそうだ。

このフレーズはあまりに楽観的だろう。ここまでの話を、ものすごく、とてもシンプルに立証するとすれば、現オリックスのコーチ陣のことを考えてみればいい。

投手コーチ星野伸之の近鉄ユニフォーム姿、打撃コーチ水口栄二の阪急ユニフォーム姿―――そんなもの、ほんとうに見たいか?

(スージー鈴木)

2010年01月04日

我々には「面白く見る」義務がある

『イロモネア』の正月特番を見て思ったこと。
「笑わないほうにも問題があるんじゃないか?」

一例を挙げれば「友近の蓮舫」とか普通に笑うだろう。
あれは友近のパフォーマンスに問題があったというよりも、
「蓮舫」のパブリック・イメージに反応できなかった
受け手の鈍感さが問題ではないのかと。

このへんは、エンタテインメントの「送り手」と「受け手」との
関係性に関わるデリケートな問題ではある。
一般的な概念でいえば「受け手」は「絶対善」であって、
「受け手」を満足させられないパフォーマンスは、
それがどんなものであろうと「ダメ」ということになってしまう。

しかし、本当にそうなのだろうか?

確かに「受け手」は入場料その他の対価を支払って
パフォーマンスを享受している立場なのだから
(『イロモネア』の客は入場料を支払っているわけではないだろうが)
「送り手」に対して絶対的に優位な立場にいることになる。
つまり「面白くないのはアナタの責任であってワタシの責任じゃないのよ」
というわけである。

それは、まったくの正論だ。否定しようのない正論かもしれない。

だが、再度言う。本当にそうなのだろうか?

たとえば、歌舞伎や古典落語のような「伝統芸能」の場合、
受け手の不満足は、送り手の責任というより「受け手の教養不足」として
解釈されるケースが多くはないだろうか。
「面白くないのはアナタの責任ではなくワタシの責任かもしれない」である。
伝統芸能だけでなく、現代美術とか純文学とかアート系映画とかもそうだろう。
無論、それがいいとは思わない。
そういうものが、いろんな「壁」を作ってしまった経緯があると思う。

しかし、である。なぜ「お笑い」に関しては
「面白くないのはアナタの責任であってワタシの責任じゃないのよ」なのか。

たぶん、大衆芸能というのはずっとそういうもので、
そのことに対して、送り手も受け手も根本的な疑いを持たないようにしてきて、
今日があるのだと思う。

結論から言えば、もう、そういう時代じゃないということだ。
様々なIT的進化の浸透によって、大衆的なものほど「批評」のターゲットになる。
送り手であろうが受け手であろうが、そのことに鈍感であってはダメということだ。
「面白がるのは送り手(アナタ)と受け手(ワタシ)の共同作業」なのである。

なぜ、こんな駄文を書き連ねてきたかというと、
ここまで書いてきた「お笑い」は、「プロ野球」と同じだと思うから。
プロ野球ファンは、もっと能動的に「面白く見る」努力をしなくてはならないと思う。
グラウンドでのパフォーマンスやメディアの報道を一方的に受け止めるのではなく、
それらを能動的にどう「解釈」してどう「表現」するのか。
「面白くないのはアナタの責任であってワタシの責任じゃないのよ」
という態度からどうやって脱却するのか、ということである。

応援しているチームが上位にいれば面白いし、下位にいれば面白くない。
あるいは、応援している選手が好調なら面白いし、不調なら面白くない。
実は、そういう態度こそ「つまらない」ものではないだろうか?
プロ野球ファンは、応援している対象がどんな状態であろうとも
「面白く見る努力」をすべきであるし、そのうえでなお「面白くない」ことがあれば、
容赦なく声をあげるべきだと思う。

最後に一言。
阪神ファンは「金本のフルイニング連続出場」が本当に面白いのか?

(オースギ)


2009年12月16日

フリオ・フランコが名球会でもいいじゃないか

松井のエンゼルス移籍、というニュースを
「ヤンキースに残留できなくて残念」というトーンで伝える報道は、
まったく意味がわからん。なんだよ、そのブランド主義は。
松井のホームがNYだろうがLAだろうが、
もっといえば、松井の年俸が増えようが減ろうが、
我々にとってはなんら関係ないことである。
松井が「プロ野球選手」としてプレイするのであれば、
別にどこのユニフォームだっていいじゃないか。
NYだろうがLAだろうが大阪だろうが仙台だろうが、
どこだっていいはずである。

そういう観点から(強引ですが……)思うのは「名球会」のことである。
カネやんが失脚して王さんが会長になったとか、
そういうゴシップはまぁどうでもいいのだけど、
前から気になっていたのは「日米通算」という新たな基準。
それが野茂、イチロー以降の「若手」を参入させようという目論見なのは
ミエミエとはいえ、一度そういう基準を設けたのであれば、
「フェア」に適用しなくちゃいけないんじゃないの?という
素朴な疑問がずっと拭えなかったわけなのである。

「日米通算」ならば、「メジャーへ行った日本人選手」だけでなく、
「メジャーから日本へ来た外国人選手」も対象にするべきじゃないのか?
それが「フェア」な基準というものでは?

そういうわけで、誰もそんなことはやってくれないので、
ワタシが勝手に、正真正銘の「日米通算ランキング」を
作成してみようと思い立った次第です。
とりあえずは打者編、「日米通算2000本安打以上ランキング」です。

(*は日米通算、太字は現役)
イチロー(3308)
 張本 勲(3085)
 野村克也(2901)
*J・フランコ(2872)
*W・デービス(2798)
 王 貞治(2786)
 門田博光(2566)
 衣笠祥雄(2543)
 福本 豊(2543)
 立浪和義(2480)
 長嶋茂雄(2471)
 土井正博(2452)
 落合博満(2371)
松井秀喜(2367)
 石井琢朗(2355)
 川上哲治(2351)
 山本浩二(2339)
 榎本喜八(2314)
 金本知憲(2286)
 高木守道(2274)
 山内一弘(2271)
 大杉勝男(2228)
 大島康徳(2204)
 若松 勉(2173)
 広瀬叔功(2157)
 秋山幸二(2157)
*R・スミス(2154)
*R・ホワイト(2151)
 清原和博(2122)
 古田敦也(2097)
 松原 誠(2095)
 山崎裕之(2081)
 前田智徳(2071)
 藤田 平(2064)
 谷沢健一(2062)
 江藤慎一(2057)
 有藤道世(2057)
 加藤英司(2055)
*W・クロマティ(2055)
 新井宏昌(2038)
 松井稼頭央(2038)
 野村謙二郎(2020)
 柴田 勲(2018)
 田中幸雄(2012)
 駒田徳広(2006)

ちなみに、レロン・リーは日米通算1983安打、
タフィ・ローズは同1924安打。ローズがどこかで
現役続行すれば、まだ「名球会」入りの可能性はある。

しかし懐かしいね、ウィリー・デービス。
巨人戦でランニングホームラン打ったよな、確か。

参考までに、フランコの日本での安打数は286、デービスは237。
しかし、それがどうしたというのか。
近い将来、日本で100安打しか打たなかった「日本人選手」が、
何かの拍子にメジャーへ行って通算2000本以上打つ。
そのようなことが起こらない保証が、どこにあるというのか?

そのうち、気力があれば「日米通算200勝以上ランク」も
作成してみます。ガリクソンとか入るのかね。

あと、重要な外国人選手が漏れている可能性があるので、
気付いた方はぜひ、ご教示ください。

*ランキングは「こちらプロ野球人事部」 「MLB.com」 「プロ野球人名辞典2001」(森岡浩、日外アソシエーツ)を参考に作成しました。

(オースギ)

2009年11月10日

勝者なきゼロ年代

2009年の日本シリーズ終了。
ということは、「ゼロ年代のプロ野球」がこれで終了したということである。
この10年のシリーズの結果を、ざっと振り返ってみよう。(カッコ内は敗者)

2000 巨人(ダイエー)
2001 ヤクルト(近鉄)
2002 巨人(西武)
2003 ダイエー(阪神)
2004 西武(中日)
2005 ロッテ(阪神)
2006 日本ハム(中日)
2007 中日(日本ハム)
2008 西武(巨人)
2009 巨人(日本ハム)

巨人3勝、西武2勝、ヤクルト、中日、ダイエー、ロッテ、日本ハムが各1勝。
数字を見る限り、「ゼロ年代の王者は巨人」ということになる。
実際のところ、各ディケイドにおける巨人のシリーズ勝利回数をみると、
90年代が1勝、80年代が2勝(ちなみに70年代は4勝、60年代は7勝)だから、
ゼロ年代は「名門巨人軍復権」の時代として定義できるのかもしれない。

とはいえ、「ゼロ年代=巨人の時代」という実感は、限りなく薄い。
なぜなら、2000年、02年の巨人と09年の巨人にはほぼ連続性がないからである。
その間(堀内時代)には、どうしようもない沈滞期があった。
09年の巨人は、むしろ「2010年代へ向けた過渡期のチーム」とみるべきだろう。

リストを一瞥すれば分かるように、
ゼロ年代は、日本シリーズを「連覇」する球団がついに現れなかった。
これは、日本シリーズが始まった1950年代以来、初めてのことだ。
50年代には「西鉄の時代」があり、60年代はもちろん「巨人の時代」。
70年代には「阪急の時代」があって、80年代は「西武の時代」。
しかし、90~92年の西武を最後に、シリーズを「連覇」する球団は出ていない。
それでも、92~97年の6年で4回シリーズに出て3勝したヤクルトのようなチームが
90年代にはあったのだけれど、ゼロ年代にはそういうチームすらなかったのである。

なぜ、一つのチームが「王朝」を築けなくなったのか。
いうまでもなく、最大の理由は、
FA、ポスティング、他球団で活躍した外国人引き抜き、等による
国内/国外への選手移動が頻繁になったことだろう。
それによって、主に人材が流出する側のパ・リーグは
各球団の新陳代謝が物凄い速度で進み、空前の群雄割拠状態となった。
一方のセ・リーグは、巨・神・中の老舗3球団に人材が集中した結果、
「新陳代謝の乏しい高年俸球団」と「相手に名前負けする低年俸球団」との
格差が固定してダイナミズムが失われた。

他にも、一つの球団が「王朝」を築けない理由はいくつか考えられる。

「プレイオフ導入により、日本シリーズ出場権獲得の可能性が拡大した」
「データ分析の緻密化により、選手が継続して好成績を収めることが困難になった」
「アマチュアの指導レベルが全体的に向上したため、ドラフト段階での“人材格差”がかつてより縮まった」

いずれにしろ、この10年間は
かつてない速度で人材が流動化し、どの球団も安定した状態を作れなかった。
04年日本一の西武は、クリーンアップがフェルナンデス・カブレラ・和田で、エースが松坂。
08年日本一の西武は、クリーンアップが中島・中村・石井義で、エースが涌井。
一つのチームがたった4年でまるで違う顔触れに変貌していて、
それなのに、どちらも日本一になってしまう。
それがゼロ年代のプロ野球だったのだ。

原辰徳は、あちこちで「今年から5連覇する」と宣言している。
個人的には、そんな時代が来られたらたまったもんじゃないのだが、
おそらく、原自身はそれが時代に逆行する宣言であることを承知のうえで、
あえて口にしているんだろうと思う。
しかし実際問題、たとえば3年後の巨人がどうなっているかというと、
小笠原・ラミレス・亀井がクリーンアップで、エースがゴンザレスで、
抑えがクルーン……ってことは、まずないだろう。

5連覇は、とてつもなく困難な道だぞ。いや、3連覇、2連覇すらも。

(オースギ)

2009年11月01日

野球落語『オマリー寝床』

下手な義太夫語りの事を、「五色の声」、つまり「まだ青き 素(白)人浄瑠璃 玄(黒)人がって 赤い顔して 黄な声を出す」と言ったのは蜀山人だという。

ある長屋の大家、オマリー旦那もそんな類の一人。ただ彼の場合は義太夫ではなく、音痴な歌。それも『六甲おろし』。すぐ他人に聴かせたがるが、あまりにも音痴なので、長屋の店子たちは誰も聞きに来ない。だったら、せめてご馳走をして、ご機嫌をとろうと色々と準備をしてから店員の繁蔵を呼びに行かせたがやはり駄目。

提灯屋は開店祝いの提灯を山のように発注されてんてこ舞い、金物屋は無尽の親もらいの初回だから出席しない訳にはいかず、小間物屋は女房が臨月なため辞退、鳶の頭は成田山へお詣りの約束、豆腐屋は法事に出す生揚げやがんもどきをたくさん発注されて大忙しと全員断られてしまった。ならば、と店の使用人たちに聞かせようとするが、全員仮病を使って聴こうとしない。

頭に来たオマリー旦那は、長屋は全員店立て(たたき出すこと)、店の者は全員クビだと言って不貞寝してしまう。それでは困る長屋の一同、観念して旦那の『六甲おろし』を聴こうと決意した。

一同におだてられ、ご機嫌を直して再び語ることにしたオマリー旦那は、縦縞のユニフォームを着て、マイクのセッティングなど準備に取りかかる。その様子を見ながら一同、オマリー旦那の歌で奇病にかかったご隠居の話などをして、酔っ払えば分からなくなるだろうと酒盛りを始めた。

やがて始まったオマリー旦那の歌をよそに、酒が回った長屋の一同、全員居眠りを始めてしまう。我に返って気づいたオマリー旦那は激怒するが、何故か、丁稚の小林くんだけが泣いているのを見て機嫌を直した。何処に感動したのかと聞いてみるが、小林くんの返事は「みんなが寝ちゃって、自分の寝床が無かったんです」

しかし、日本語が不得手なオマリー旦那、小林くんが言う「寝床」の意味が分からず、勝手に感動していると思いこみ、「小林くんがイチバンやー」と叫び、そこから14曲連続で歌いつづけたという。これが世に言う「小林・オマリーの14曲」……

(ス)

2009年10月25日

パ・リーグ万歳!

リアルタイムでTVで見ていて、胸が熱くなりました。
おそらく、2009プロ野球のベストシーン。

吉井が最初に駆け寄り、稲葉がリードして、野村の胴上げ。
ワタシのようなスワローズバカにとっては、
90年代半ばの夢のような時代が走馬灯の如く蘇る、
感動的な光景にほかなりません。

こんな素晴らしい光景を見せてくれたファイターズ、
というより、素晴らしき「パ・リーグの野球文化」に感謝!

*「セとパの野球文化の差異」については、後日、改めて。

(オースギ)

2009年09月28日

千葉マリン「横断幕問題」について。

この件について。

とってもシンプルにコメントしておくと「インプレー中の横断幕」という時点で、横断幕を掲げたほうの負け。野球倫理に抵触している。以上!―――なのだが、内野席派のマリーンズファンとしてはもう少し言いたいことがあるので続ける。

その前に前提論を。前提(1):ワタシはボビー解任に賛成。理由は、これもとってもシンプルで在任6年でBクラス4回、今季5位で残留の方が不条理。

前提(2):しかし(真偽の程は定かでない部分もあるが)社内会議で「千葉のくだらないファンなら(本拠地を)変えようか」と語る社長に代表されるフロントにも賛同できない。それ以前に社内会議の議事録がリークされている時点で組織として腐っている。

前提(3):ただし、話をややこしくするようだが、スタンドにおける批判めいた横断幕自体は、(その書き方には意見があるが=後述=総論として)ワタシは嫌いではないのだ。2004年、球界再編問題のときに、多くの横断幕がスタンドに掲げられたのを観ていた者の意見としては。

という前提の下、上に述べた「インプレー中は倫理外」ということに加えて、その書き方にも意見しておきたい。

野球場は、野球を観るところである。このくだらない現実に疲弊した人々が、一瞬のトキメキとヤスラギをもとめて、なけなしの金をはたいて駆けつけるところである。

だとしたら、すべてにおいてプレー、ゲーム、野球そのものが優先されなければいけない。更に言えば、このくだらない現実に対抗する、ポップでポジティブな野球的価値観が優先されなければいけない。

問題は、メッセージの書き方だ。

「瀬戸山 石川 米田 全員死刑」なんてのは問題外。今回掲げられたこれ以外の横断幕も表現が直接的すぎて、センスがなくって笑えなかった。

ここで「笑い」というキーワードを突然出した。違和感を感じられる向きも多いと思う。が、ワタシ的には「ポップでポジティブな野球的価値観」と「笑い」は、そうとう近いものと考えている。

あれは7~8年ほど前か。低迷するオリックスの応援団が出していた横断幕。当時「行政改革推進本部」かなにかの委員長を務めていた宮内オーナーをネタにし、「宮内さん、行政改革もいいけど、その前に球団の改革を」(細かな文面は忘れたが)。

どうだろう。このウィットは? 笑えるだけでなく、よく読めば、宮内氏の本質をあげつらった、そうとう辛辣で知的な頭脳犯メッセージである。これが「批判めいた横断幕」について、ワタシが考える理想的なかたちである。

もっと直接的に言わなければメッセージは伝わらない、と感じる方が多いと思われるが、繰り返すが優先されるべきは野球的価値観である。《give peace a chance》よりも《imagine》のほうが心に残るのである。要はポップかどうか。

逆に、その直接的メッセージが、西岡剛どころか、他のマリーンズファンまで批判されているじゃないですか。運動の分裂。今、対峙すべきフロントの側にとって、こんなにおいしいことはない。思うツボだ。

インプレー中以外、できれば5回裏終了時、ゲーム終了時に、ウィットに富んだ横断幕をすっと出して、笑いと共感を呼ぶ。敵を作らず、むしろ共闘を呼びかけるのにはこれしかない。

なぜならば、そこが野球場だからだ。

以上、長くなったが、千葉マリンにおける「横断幕問題」についてのワタシの見解である。シルバーウィークに、仙台、福岡、千葉でマリーンズ7試合(8試合中。4勝2敗1分)を生観戦した42歳がいうことだから、少しは信じてほしい。

(ス)

2009年09月16日

「日本で打つよりずっと楽」

ワケあって国内のプロ野球についてあまり考えたくない状況なので(笑)、
久々に、異国でまたまた偉業を達成したあの人について、
ちょっと考えてみようかと。

ここ一連のイチローの発言で最も注目すべきなのは、
メジャー通算2000本安打を打った際のコメントだと思う。

「試合数が多いですから、日本で打つよりずっと楽」

ワタシの知る限り、このコメントについてまともに考察したメディアはない。
イチロー独特のレトリックとして“処理”しただけだろう。
しかし、ここにある「NPBとMLBをフラットに見る視点」について、
もっときちんと考えたほうがよくはないか。

このコメントを素直に発展させれば
「日本で打つのだって大変ですよ」ということになり、それは
「日本のプロ野球のレベルだって相当なもんです」ということになるわけだが、
おそらく、イチローが言いたいのはそういうことでもないだろう。

日々、ヒットを積み重ねていく難行苦行の過程には、
幾多の鬱陶しいハードルが存在するはずだ。
それは相手投手の投球であり、フィールドのコンディションであり、
あることないこと書きまくるメディアであり、
チームメイトとの折り合いであり、
気候であり居住空間であり食い物でありストーカーまがいのファンであり……

そういう一切を含めたうえで
「日本には日本の鬱陶しいハードルがあり、
メジャーにはメジャーの鬱陶しいハードルがある。
どちらが上でどちらが下というものではない。どちらも野球なのだから」
というのがイチローの本意ではないか、とワタシは勝手に翻訳するわけであります。

「どちらも野球なのだから」という大きな視点に立てば、
NPBもMLBも、実は大して違いはない。
どちらも同じように、フラットに楽しめばよい。それが野球好きの態度である。

だから、菊池雄星クンの最近の発言を聞いていると、
老婆心ながら、ついこう言ってみたくなるのだ。

「別にメジャー、メジャーと熱くなることはないよ。
行きたかったら、そのうち行けるんだし。
ヤンキースタジアムで投げるのも、Kスタ宮城で投げるのも、
キミが考えているほど大きな違いはないんだよ。どちらも野球なのだから」

(オースギ)